床が友だち!

日々の労働が辛い僕の体験まとめノート

葬祭センターの葬式と、分からなくなる人生

近頃、悲しいけど身内の不幸事が重なっている。

僕の地元はくそ田舎なんだけれど、ここ10年くらいかな、葬式は専ら葬祭センターで行われるようになった。

その経験は、どこか新鮮で、でもやっぱり葬式だから色々考えさせられる瞬間もある

そんな色々の纏まっていない雑記記事。

 

葬祭センターは快適で悪くない

葬式=寺とかちゃんとした場所!

みたいな意識を僕はどこか思っていたのだが、その認識は確実に書き換えられている

 

葬祭センターでの葬式は悪くないからだ

というより、下手に素人が寺に頼んでどうこうするより、よっぽど体裁が整っていて負担も少ないし

何より、ちゃんと故人のための式を整えて貰っている感覚がするからだ。

 

これはあくまで、僕の身内での話だけれども、亡くなったその日から葬祭センター内の宿泊施設に宿泊しつつ、各準備を担当の方と進めていく

宿泊施設は広く、空調も完璧で滞在しやすく、必要な設備は整っていて、ミネラルウォーターが飲み放題だ(準備に加われない帰省組はここがポイント高い)

 

葬儀自体も、清潔で綺麗な会場で、遺影や蝋燭など現代の技術が控えめながらも反映された環境と会場で

その中身は、寺で行うようなものがしっかり行なわれる。勿論空調等は完備されているので全くストレスがない

 

大事なのは心だと、むしろ気付く

ここまで環境を整えてもらった中での葬儀に参加して気付く事は、当たり前過ぎて申し訳ないのだが、故人への心が一番だという事だ

 

会場自体は確かに葬祭センターという体だけれど、葬儀の内容自体はお坊さんも来るし何も変わりがない

となれば、必要のは参加する我々の心持ちだという事で、正直僕は従来の寺でやるような葬式と何一つ変わらない気持ちだった 

そりゃ確かに現代っぽい技術は入ってるけど、でもそんなの関係ないくらいに故人への気持ちへは変わらない

これまでのアナログだった色々を取払った、単純に葬儀と故人への気持を向けられる分、こういう葬祭センターもアリではないのか?

そういった感想を得た。

 

ある意味の商業施設で、心が一番なんて結論に至ってしまったのが何とも言えない

確かに、式の進行から全て商業パッケージされているのに、悲しいかなそれを否定出来ない

 

ふとした拍子に見つけてしまった葬儀プラン用紙の、予定価格を見て渋面になってしまったが…

 

分からなくなる人生

こういった身内の不幸事に出会うと、人生いつ終わるか分からないし、それこそ明日上から落ちてきた植木鉢にぶつかり急死するかもしれないし

実際、そういう刹那主義な生き方は楽しいし、ある意味で楽。世界明日終わっても良いよみたいな気分だった

 

しかし、この葬儀の数週間前に妹が結婚式を挙げたり、その関係で両親と会うことも増えて

そういう出来事を通して、こんな世界いつでも終わりOKみたいな考えを持つ事自体、どうなんだろうと感じるようにも

 

モノやコトの社会といっても、死んでしまったらそのどちらも残らないし、ならばそれらに金を使う意味も

そもそも、その為の金に執着する意味も、本当に分からなくなっている。不安定

そして、締め方も本当に分からないから、この記事もここで終わる