『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ 』 やっぱ分からない事を知る1冊-読書感想
ジャンル:ドキュメンタリー、エッセイ
いつの頃からか、オカルトというものが好きになっていた。
その理由は今では思い出せないし、しかし好きになったおかげで、色んな面白い本や映画、ゲームに出会え
普段あまり役に立たない知識や、情報を見つけていた。
しかし、オカルトオカルトと言葉で書くのは簡単だが、その正体って何なんだ?という疑問は未だにある
その疑問を、ちょっと楽しめる本がこれでした。
感想
筆者がオカルトに纏わる様々な人物や、場所を訪れるエピソード集
オカルトとは何か、どういう物なのなといった内容を上記の取材を通し探求する
Q.オカルトって結局なに?
本書のメインテーマ
メディア関係(筆者も含む)、超能力者
ダウザー、占い師、心霊協会偉い人
UFOサークル、臨死体験者 などなど…
筆者が本書内で出会う、様々な人々にぶつける質問でもある
これだけ見ても、オカルトが扱う含まれる幅が広過ぎるし~~!と思う反面
この闇鍋感がオカルトという言葉の、魑魅魍魎感を表しているとも思う
(個人的には心霊、UFO、UMA、都市伝説くらいで、超能力はまた別かな思う)
A.結局よく分からない
一部例外はあれど、結局殆どの人がこのような想いを抱いてた。
そして、それを見て何だか少し安心した自分がいた。オカルトというものがどういうものか
知りたい気持ちがある反面、人から「こういうものだ!」と宣言されるのも、どこか嫌だなという
矛盾した考えを持っている事に、ここで気付く
やっぱり、人に暴れるより少し隠れてて欲しい…
オカルトに対する姿勢
筆者のオカルトに対する姿勢は
「基本的に間違いや勘違いであるけど中には明らかにそうとは言えないものがある」というもの
実に灰色的であるけれど、個人的には同意できるし、むしろ、これくらいの距離感で接していくのが適切にすら思える。
オカルトという、定義自体が広義・曖昧過ぎ、対象も色んな物がごちゃ混ぜな中
何か一つの現象を見るにしても
肯定派→オカルト!
否定派→勘違い!
と両極端過ぎる事が多い
それぞるが人主観的過ぎると感じると共に、その中間のもの、「現象の本質」と呼べるものが別にあるのではないか?
本当はオカルトも、この世界に普通に存在しているのに
人間の認識が拒否しているだけではないのか?とった、色んな考えをしてみる良い機会となった
またそれについて、本書で提示される、羊・山羊効果や量子論的な例えは、面白い考え方だなと思う
気になった点
- 基本的に色んなエピソードを纏めたものなので、ストーリー性のような全体での明確な一貫性は薄い
- オカルト肯定派にとっても否定派にとっても明確な結論が出る訳ではない
- 本書の形式上基本的に全て筆者の主観
- 筆者の前著である「職業欄はエスパー」を前提にした箇所が幾つかある
まとめ
本書に収録されているエピソードは、ガチガチの科学でもなく、ガチガチのオカルトでもない
あくまで、人物に会って話を聞く、イベントやスポットに行ってみる、といった通常の取材活動の積み重ねである
しかし、その一つ一つを通して読んでいくと、オカルトとは一体何なんだろうと漠然としながらも改めて考えてしまう、きっかけや示唆に富んでいる
専門的な内容でなくて、日常の延長線上であるからこそ響くものがあった。
そんな1冊
完全なる余談
本書を読みながら、その内容とは全く関係がないけど
近年著しい発展を遂げているAI
もし、それが人間の意識や認識といったものを完全に再現出来る段階になったとして、彼らはオカルトをどう捉えるのだろか?
そして、仮にオカルトは「ある」と結論を下した場合に、我々はそれに素直に従うのだろうか?
特にオカルトの中でもどちらかと言えば、アナログ的、心情や感情寄りな心霊や呪いといったものについて
デジタルの権化のようなAIに、「ある」という結論を出されたら、どんな気持ちになるんだろう
「そこまでキッチリ明確に断定すんなよ!」
と、もしかしたら逆ギレしてしまうんだろうか